昭和54年10月05日 朝の御理解



 御理解 第36節
 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談にくれて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯と言うたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐにおかげが受けられる。」
       
 私はこのご理解を頂きます時に、一心を出すと直におかげが受けられるとある。言うならば神様の前に一心不乱とこう申しますか、一心不乱のまぁ御祈念をする。また私はもう金光様一本だ一心だと言う風にもう言うけど、直におかげが受けられると言う様な一心とはどう言う様な事を言うのであろうかと思うのですが。今日私はこの36節を頂いて、そのすぐにおかげを頂ける一心と言うか、一心を立てたらどう言う事になるかと。
 その事ここへ座らせて頂いて思うておりましたら、神様からから『親指』をこんなにして教えて下さった。これは親という事だろうと、だからね私共が一心を立つるとか、一心不乱とか神様に一心とかいや、私は金光教一本だ一心だと言う様な事もやはり一心でしょ。それは一心不乱に御祈念をして祈念力なら祈念力でおかげを受けると、立ちどころに助かると言った様な例もあるんですけれども。一番尊い一番素晴らしい。も絶対神様が動きなさる、これならばという一心は、親を思う一心だと今日私は思いました。
 親を思う一心から出てくるところの修行であり。いうならお参りでありでなからなきゃならん。そして私自身の事を思ってみるのですけれども、私が外地から引き揚げて帰って参りましてから、もうそれこそ親に孝行したい親に喜んで貰いたい一心で、まぁ北支あたりまでも働きに出たわけです。やはり親を思う一心ですね。それがその信心につながっていかなきゃならない。ただなら肉親の親なら肉親の親を、それでもやっぱり親を思う一心と言うものは、もう本当に出来ない事が出来るんよ。
 これは信心の事ではなくてもね。そりゃ多くの例えば何ちいうですかね。孝子伝のような例えば中国のあの二十四孝なんかのを思いますと。もうとにかく親を思う一心がに、出来ない事が出来ると言う。何かそう言う普通で出来ない事が出来る程しの一心が立った時に、私は直ぐにおかげが受けられると言う風に思うですね。親を思う一心ね。それこそ寒中に筍堀をしたりね。夏のいわばあの蚊に責められる。それを自分が裸になって親の枕自分の身体にその蚊を受けたと言った様な話が二十四孝の中にありますがね。
 もう本当に親を思う一心、出来ない事が出来ると言う程しの一心ではなからなければ。私は神様に一心でございます。私は金光様一本でございますち言うただけでは、言うなら直ぐにおかげが受けられると言うおかげにはならない言う事。昨日まぁ何時もの事ながら本当に神様の働きを受けると言う事はいつも驚きですね。内田のお婆ちゃんがここへ出て参りましてから、もう本当に先日昨日の言葉に、昨日ですから一昨日御理解を頂いてからもう驚きましたとこう言う。
 親先生が私共に親子の事お夢を頂いて下さったと。資生さんという息子、資生さんと言うのは資本の資と生まれると書いてある。いわゆる資生堂の資生と書いて資生と読む。資生が私が死んだと言うて。六百万円ものお金をお葬式代にと言うて持ってきたという、あの事を御理解の中で聞かせてもらうて、もう驚いた事はその御理解ですね。自分と言うものを空しうする自分というものをなくする。と言う所から言うならばそう言う働きが起こってくるという御理解でしたが。
 死ぬとか生きるとか言う死ぬのじゃない。自分と言うものを空しうするという事を。そこで私がその先生がお夢を頂いて下さったと言う日に、もう本当に本気で思わせて頂いた事は、皆さんは御造営が始まるといや一千円、五百万と言う様な一心を立てられたと言う話をいくらも聞いた。けれども現在の私にはとてもそれが出来そうにないけれども、せめてこの位な事はと一心を立てさせて頂きましたら。それは一生懸命のものですから。自分と言うものをいよいよ空しうしてから。
 この事だけはお聞き届けを頂かなければと、一心を立てましたら親先生がお夢を頂いて下さったという話を聞いて、本当に神様が心の中をお見通しである事を感じましたと言うお届けがございました。一昨日の婦人大会から昨日の御理解の中にその事を話しましたね。それを聞いて内田のお婆ちゃんはそう言うてるんです。自分がそう言う一心を立てた時に神様へパッと通じておる。それこそ直ぐにおかげが受けられるであろう。
 だからね一心を立てると言う事は例えば子供が親を思う一心、それがいよいよ募って参りますとね。それこそこの親の為にならどげな苦労をしてでも、と言う一心がそういう形の上にも表れる程しの一心でなからなきゃいけない。私も本当に親に孝行したいばっかりで北支あたりまでも行って、そして今度は反対に裸で引き揚げてこんならんような状態になって、これではもう目も当てられない。両親にろくろく本当なものも食べさせられない。ような事ではですね。
 私のなら親に喜んでもらいたいと言う思うただけではどうにも出来ない。そこで帰らせて頂いてこの親に孝行させて頂く事の為にはね。それこそ私はもうお粥一椀と言う事に決めました。今までかってその事を親に喜んでもらう、親孝行したいと言った様な事はです。誰にも負けないつもりてあったけれども、引き揚げて帰って見て言うならば、あの終戦の食べ物一つでも遅配欠配と言うあの時代にです。
 親子孝行したい親がまあだここ両親揃っておる。だから両親がもし亡くなりましたら、もそのあくる日からでもよいから、私は元の貧乏にもどっていもいい。だから両親がこうして健在である間に、どうぞ両親には充分な喜びが与えられるような、おかげを頂かして下さい。その当時は商売より他に知りませんからね。何か商売をしたいと思った。その為には私は夏も冬も夏服一着で過ごさせて頂きます。食事もお粥さん一椀にしぼります。布一寸買いませんと言った様な、いろいろな箇条書きの修行が出来たんです。
 今から考えると親を思う一心が、それも普通出来なかったことが出来る事になったんです。それもいよいよこのこういう状態では、もうとにかく目も当てられないと言うた状態です。親孝行したいにもね仕様がない、もう神様のおかげを頂くより手はないという事になった時に、神様の前に普通考えただけでも、今から考えると身震いが出るような修行にも取り組む事が出来た。親に孝行したいばかりでした。一心でした。
 私は今日の私はすぐにおかげが受けられると言うな一心と言うのは、子が親を思う一心しかもね。子が親を思うその一心が普通で出来ない事でも、出来る程しの一心でなきゃならんと言う事を今日は聞いて頂きたいんです。親を思う一心そしてそう言う信心が段々出来さして頂いておる時に、これは肉親の親よりももう少し上の親があった事に気付かしてもらうた。それは親教会であった。いうならば親教会のためにそれこそもう身も心も捧げるような信心修行が出来て。
 まぁあちらこちらで説教の材料になる程しの一心が立ってきた。段々信心を進めさせて頂いておったら、親教会よりもっと上の親がある事に、もっと上の親がある事に気付かせて頂いた。知っておったけれどもその親にそう言う情念を燃やすと言う事はしなかった。神様から色々お知らせを頂く様になって、教団の道修繕、そのために例えば普通で出来なかった、肉親の親を思いもう一つ上の親を思い、いうならば最終的には天地の親神様のお心が分かり、天地の親神様の前に天地親神様の頼みを受けた。願いを受けた。
 いや親神様のお心が分かれば分かるほど、私の言うならば普通では出来ない親を思う一念、情念と言うものはも募るばかりであった。私は今日ね一心を立てるすぐおかげが受けられると言う事は、神様からこう頂いて親をね親を思う一心。しかもなら親をむ思う一心誰でん親を思わん者はない。けれどもこの親にとこう思うた時にですね。普通で出来ない事でも出来る程しの、一心が立った時にです。この親に孝行したいばっかりに朝参りが出来る。この親に喜んでもらいたいばっかりにこの一心が出来る。            成程これならば神様に感応ましまさぬ筈はない。あれば貰わんなんけん凝れば頂かなんならんけんで一心一心のだためが違う。ねだから最高の言うならば一心じゃないでしょうがねそれが。だからまずね肉親の親。親はおらんともう死んでしもとると言うたっちゃ霊様はござる筈だからね。私共の心がねとにかく親に孝行したい一心で信心出来ると言う様な一心を立てたらです。すぐにおかげが受けられると言うおかげに繋がってくると言う事を今日は分からして頂いた。そして過去の私の信心を思うてみて。
 はぁ成程もういよいよギリギリね、親が健康であるおかげを頂いておる。この健康の間に喜んでもらわなければ喜んでもらう時がない。為にはもう自分力ではどうもにも出来ない。神様にお縋りするより他にない。そんならその代わり神様私に出来るだけの修行は致しますと言った様な一心が、普通で出来ないような修行が出来る程しの一心が立ってきた。そしてそのそう言う信心をさして頂きよったら、もっと上の親に気付かせてもろうた。分からして頂いたと言う事に私はの信心はなるのです。
 合楽理念と言われる合楽理念の言うならば、根本は親孝行にあると言うのもそう言うところから出て来たんだとこう思うのす。どうぞ皆さんの一心を確かめてみて。もう少しは増しな一心を立てさしてもらう、ただ一心不乱に拝むとか。一心にもう私の腹は合楽に決まったと言う事だけでも、それは一心ですからおかげになるでしょ。昨日神愛会でしたから先生方の研修でした。熊本の山田先生が発表してましたが。この人の信心はもうとにかく、合楽理念と言う事を言うですけれも。
 もう合楽理念も、もう土の信心に極まったと言う事をもう、限り無く深めていくようですね。もう信者の一人一人のお取り次をさして頂いておる、その模様を話しておりましたが、もうとにかくあの箸一膳でも土から生まれてるんだとこう言うんですね。これはもう素晴らしいおかげを頂きょるです。先日からもうあの手にこうジャクロが出来た、大変難儀してスコップも持たれんという人が参ってきて。そしてその土の信心を語らせて頂いて、おかげを頂いてあくる日は先生こうスラスラするごつようなったち。
 言うおかげを頂いたと言うのです。ところがまた不思議な事が起こったと言われる。私がおかげを頂きましたら、今度は家内にジャクロが移ってしまっとったと言うすさまじい働きです神様の。そう言う働きが今の植木教会にも起こってるんです。あのう植木教会と言う事はもう本当に大変小さい教会ですけれども、この入り口の所にそれこそ広々としたまぁ駐車場のような荒れ地があるんです。そこを今度信者一同で買わせて頂こうと、言う様な話が出るほどにおかげ頂きよるです。
 昨日はそんなお届けをしておりました。ですからもうその教えなら教えもです。もう一心を本当にいわゆる一志一心です、貫くという一心。あれも知っとるこれも知っとるだけじゃでけん。これも少しばかりかじってたと言うだけじゃいけんね。本当に土の信心なら土の信心に徹っしきって、それが自分の血肉になって、言うなら天の信心なら天の信心と言う様な。一心を立てなければだめ。その一心もです一番最高の一心は、子が親を思う一心、その為ならばね普通出けない修行もあえて出来る程しの一心。
 この一心ならばね、言うならばすぐにおかげが受けられると言うおかげにも、言うならばもうお徳にもつながる事間違いないと言う風に思いますね。親を思うとる一心誰でも思っとりまするよ。親不孝したいと思うとるもんなおらんけれども。それが一心が段々募って参りますとです。この親の為に言うならば、神様私の出来るだけの、例えば修行をさせて頂きますと言う様な、普通で出来ないような修行が出来る程しの一心を今日は聞いて頂きましたですね。
   どうぞ。